ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

女はなぜ突然怒り出すのか?

花言葉に愛を込めて。若しくは背筋がむず痒くなるくらい香ばしい手紙。プレゼントには沢山の選択肢があるものの、本のプレゼントは中々洒落の効いたものだと思う。

 

ジャケットを着ても汗をかかなくなった10月初旬、取引先とのプライベートの懇親会があった。対面の担当さんが最近結婚されたということで、そのお祝いも兼ねての会であったが、そこで僕の課の課長から担当さんと僕に本のプレゼントがあった。タイトルは"女はなぜ突然怒り出すのか?(姫野友美著、角川書店)

 

男女のトラブルの処方箋として、医学の立場からその原因となる男女の生物的な組織構造の差を説明するものである。この本を結婚したばかりの取引先の担当者と、課で最若手である僕にプレゼントした所は、家に帰らず奥さんとの関係が冷えついていると噂の課長らしいプレゼントである。

 

理系としては論理展開に幾分か飛躍があるなとは感じつつも、非常に納得感のある内容であった。小さなことで不安を感じやすく、将来のことより現在の些細な出来事に目を向けやすい女性。なるほど言われてみればと心当たりがある節が多い。

 

僕は、愚痴が多い職場に辟易している。(職場だけでなく、友人も母親も含め。)愚痴が多いこと=幸せでないと捉え、どうしたらより幸せな職場や生活環境になるのかを日々問うてきたのであるが、最近「彼ら(主に彼女ら)は愚痴を垂れることが何より幸せなのでは。」という仮説を立てていた所であった。

 

この本によれば、この仮説は一面的には正しいようである。男女の思考法の差を明確にする事に論点を集約していた同書だから、解決策より共感を求めるのが女性的な思考法と指摘されていたのだが、男性も女性もある程度は似た所があることを考慮すれば、会社でも私生活でも愚痴や誰かの悪口に終始し"生産性の無い"飲み会が日々東京中で繰り広げられている現状にも合点がいく。

 

さてこの生活の中で僕はどうしたら良いのか。同書の提案のように、「そうだね、大変だね。」と共感発言製造マシーンとなり、無駄な口論を避けていくのは自己の精神衛生上素晴らしい解決策でありそうだ。

 

しかし、湧き上がる一抹の反抗心。人間の精神的な面がさまざまな角度から分析されていく中で、今後世界ではどのようにして人間らしさが保証されていくのだろうか。人間の幸福の為、理性を追求したコンピュータが台頭していく中で、人間自身がますます理性的に画一的になっていくのではと憂いを持っている。些細なフラストレーションからの無駄な争いや、はたまた繰り返してはならない大戦争を解決する為に、「理性的な社会」の実現に人生を賭けた先人たちには敬意を表さなければならない。一方で、理性を追求した結果、人間とは何か、ひいてはなぜ人は生きているのかという人類共通の大テーマの解答から、少しずつ遠のいていく気がしている。

 

誰かを愛することは誰かを愛さないと決めることである。誰かの愚痴や悪口、マクロ的には他国への嫌悪は決して"幸福"をもたらすものでないことは自明であるが、"人間的らしさ"をもたらす材料になり得るのではないかと感じる。そもそも人間らしさと幸福はその中に自己矛盾を孕んでいるのだろうか。

 

 

 

 

僕は生粋の読書家だった父親から、文字が読めるようになってから20歳まで、毎年誕生日に本を贈られていた。

 

彼が僕の人生を考えた上での渾身のプレゼントだったが、当時読書会嫌いだった僕にはあまり効果は無かったようである。

 

皮肉にも父から本を贈られ無くなってから、本を多く買うようになった。父からの本のプレゼントが届かなくなってから5年が経った今、本というパッケージの中に込められた思想を贈るという作業には計り知れない人間らしさと尊さがあると思っている。

 

さて、僕もいつできるかわからない将来の伴侶か、若しくは年々思想に隔たりが大きくなる母親に、本でも贈ろうかしら。