ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

取引先との付き合いが仕事の重要な要素であるこの仕事は、あまりにも人と接し過ぎる。中華圏の正月で仕事もあまりない予定だったので、国内の人気のない旅館で1人を満喫することにした。

 

旅と言えば、海外でその日に見つけた安宿を転々とするのが基本であった僕は、老舗旅館でゆっくりとした時を過ごすなんて初めての体験である。少し仕事が残っていた為到着が遅れ、いつ到着するのかと再三電話がきた時には、これが外国人の嫌う行き過ぎたおもてなしかとぼやいたものの、着いて見れば雪に囲まれた静かな良い宿である。

 

到着も遅かったので、1951年に完成したとの歴史ある大浴場を1人で堪能することができた。蝋が何重にも塗り重ねられたであろう木製の床板や、薄茶色になった千社札には愛着に近い感情を覚えた。雪が降りしきる独特の静けさが25時を回った着替え場をつつみ、自分の浴衣を脱ぐ音だけが古い映画館の音声のように反響するのであった。

 

外気温が低く、浴場は湯気が立ち込めている。光沢のあるタイルや内壁からは長い間丁寧に手入れをされたことが伺える。サウナらしき空間には古いネオン街の看板のようなゴシック体で蒸風呂・温泉と書かれている。無論僕はこのようなゴシック体のネオン看板が立ち並ぶ時代には生きていない。当時の魅力にインスパイアされた現代的な赤提灯系酒場で見るのみである。当時青春時代を過ごした人々は、僕とは違った感情でこのゴシック体を見つめるのであろうか。

 

細かな雪がポロポロと落ちる中、1人の旅行客には些か広過ぎる露天風呂で、僕は時を持て余していた。共働きの両親の家で、尚且つ山奥に住んでいたので、1人の時間はいくらあっても問題にはならなかったはずだったが、さて、僕は贅沢にも時間を持て余しているのである。思えばこの数年間僕は常に誰かと共に過ごしている。

 

 

会社の同期からこう言われた事があった。「君は誰とでもうまくやれるよね。腹が立つ人はいないのか?」かく言うその同期も、自己主張が激しく、古典的な我々の会社ではしばしば敵を生んでいた。僕は少し考えて、「そもそもあまり人に期待していないのかもしれない。」とだけ答えた。同期は続ける。「君は人が好きか、若しくは人に興味が無いのか?」僕は「人は多分好きなんじゃ無いかな。」とだけ自信なさげに答えた。

 

 

回想するうちに、ふと磁石のイメージが湧いた。磁石にS極とN極があるとすれば、僕は極めて弱い磁場を持つ第3極なのではないだろうか。N極とS極が北と南から命名されているならば、その間にあるEquator、E極とでも言おうか。SとNは接着する。SとSは近づけることすら出来ない。一方で僕はSにもNにも近づく事ができる。S極から見ればどうして他のS極に近づける事ができるのかわからない。しかし重要な事は、極めて、学生がやっつけで作り上げた観測機などでは到底観測できないくらい微弱ではあるが、E極は独自の磁場を持っているのである。その微弱な磁場のせいで、S極にもN極にも極限まで近づく事ができるが、どちらの極に対しても、これ以上近づけない距離が明らかに存在するのである。

 

と、とりとめもない思想にふけった所で、体が少しのぼせてきたことと、自分が誰ともうまくやれるようで、誰とも心を通わせられない証明をしているような気がして、風呂から出ることにした。

 

風呂上がり。見晴らしの良い縁側で煙草を吸いながら携帯のメッセージを確認する。1人になるべくここにいるわけだが、1人になりたくない自分がいるのだろうか。孤独を愛し、それでいて他人を愛する相反する感情は、人里離れた雪山でも携帯電話を手放させさせない。僕は今、孤独なのだろうか。