ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

ラベル

全く牙が抜けたようである。

 

K町と隣のO町の間にある銭湯に入り、1時間ほどサウナと露天風呂を楽んでから、縦に異様に長い暖簾を力強く押し外に出た直後であった。僕は言いようもない脱力感、否、無力感とでも言う感情に襲われたのである。

 

全くもって無意味に過ごしたゴールデンウィークも終盤に差し掛かり、夜行性動物に退化した僕は、サウナの力で24時頃に寝ようとしたわけであったが、果たして今日は無事朝が来る前に眠れるのであろうか。

 

今年のゴールデンウィークは令和元年の恩赦で10連休となった。改元がなんぼのもんやと息巻いていた僕らも、平成最後の日を怠惰に過ごすことに不安を感じていたので、日本橋のマリオットのバーで"年越し"を行う事にした。僕は白州をストレートで、Wはいつも通りマッカランの18年をストレートで。

 

Wは僕の勧めによりバー通いを始め、行きつけのバーの常連とゴルフに行く仲にまでなったらしい。筋トレ、カラオケ、ゴルフと一つの趣味を徹底して仕上げるタイプのWは、それが高じてバーの常連の心を射止めたらしい。(常連の社長に腕相撲対決で勝利。カラオケ対決で勝利。)Wはどこのコミュニティでも、自分にラベルを付けられる人である。就職活動時代も「院試で1番であった」というラベルを自身に強固に貼り付けて数多の内定を勝ち取ったのである。

 

お笑い芸人も、いくら上品なコントを作っても売れず、モノマネでラベルを貼り付けて初めて売れ始める時代である。ー明白なラベル表記ー 僕は自己へのラベル表記を、求め続けていて、且つ避け続けているようである。何者であろうか、何者として生きようか。

 

「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるなら」(太宰治;”葉”)

 

「僕を愛してほしいのです。」この単純明快な言葉だけで、その通りにすることができるなら、僕はそれ以外何も語りたくは無い。

 

誰かに愛されるべく、僕たちは日々ラベルを貼っていく。わかりやすく、愛嬌のあるラベルを。カウンターの白州は、深緑のボトルに白く美しいフォントのラベルを携えていた。