ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

良い美容院の話

「美容院はどちらへ?」

 

定石としては褒め言葉として受け取るべきこの類の問に対して、僕はたじろいでしまう。生来のサボり症により入念なセットには慣れていない上に、学生時代からの多量の飲酒喫煙によって髪の傷みと頭髪後退の気配が見られる僕にしては、お世辞にも相応の美容院に通っているとは言えないからである。(そもそも、素敵な髪型が映える容姿では無い訳であるし。)

 

就職を気に東京来てから丸2年、青山一丁目駅近くにある流行りのバーバースタイルの美容院に通い詰めている。比較的服が好きだとはいえ、青山という街に馴染みがある訳では無し、何より昨年は千葉県の寮から、今でも錦糸町から醜男が"わざわざ"東京が誇るセレブリティの街に足を運んでいるのだから失笑物である。カット料金は6,000円。必要かどうかは別としてヘッドスパやシェービング等オプションをつければ10,000円が基本コースである。ホットペッパーの新規価格を頼り3,000円カットを続けているという友人にこの事を告げれば罵詈雑言の嵐。一体どうして無駄金を撒き続けられるのかと詰問される顛末である。

 

然し乍、僕はこの美容院に通い続けようと思っている。(一体、君は誰に向けて高らかに宣言しているのかね?) 何故ホットペッパーの新規顧客向けクーポンで安い美容院を探さず、自身の価値に見合わない高価なバーバーに通い続けるのか。僕は明確にこう答えようと思う。

 

まずクーポンを使用しない理由として、自分のお金の行き先を考えた結果である。元来僕はシステムの良く解りにくいポイント制や、だったら最初から安くしなさいと突っ込みたくなる意図のわからないセールス価格に不信感があり趣味として好まない性分である(勘定項目にはポイント引当金なるものが設定されているらしい。明らかにポイントは"使われない利益"をアテにした制度である。功罪は別にして、僕は好まない。) 。サービス業のバリューチェーンではしばしば仲介業が出現する。多種多様な選択肢の中から選択する個人にマッチした適切な店舗や物を紹介するという業種である。かく言う僕も食事をする場所選びでは食べログを重宝しているし、服を選ぶ際には目利きの良いセレクトショップや雑誌を頼りにしている。これは得たい結論と自分の情報量に大きなギャップがあるからで、ネット上にこれだけ情報が溢れているこの時代でも(寧ろ、情報過多になっている今の時代だからこそ)無くてはならない存在であると自覚している。一方で、理想論を言えば(理想とは実現し得ないことと同義であるが)、僕が必要十分な情報を元にしっかりとした目利きを持っていれば、このような仲介業は必要無いものである。お金を支払うことは、存続してほしい、また成長してほしい企業や個人への投資、支援であり、僕は飽くまでも仲介業では無くモノを作った人やサービスの提供者を支援すべく代金を払っているのである。レストランや服は常に違う物を求められるという性質がある為、選定に必要な情報量や作業量は膨大であり、信頼に足る仲介役にはお金を支払っても良い、支払うべきとまで考えている。一方で美容院は常に違う場所に行くことを求められてはいない。寧ろ、医者等に近く同じ場所に通うことで得られるメリットの方が大きい筈だと思う。よって、このサービスに於いては仲介業なぞに一文足りとも金を払う気は無いのである。

 

第二に、高い金を払う理由として、無駄な向上心の抑制がある。僕の性格であろうが、常により良い選択肢を模索する傾向にある。3,000円で髪を切っていたら、4,000円ならよりトレンディな髪型になれるのではないか、5,000円ならもっと心地よいシャンプーをうけれるのではと妄想していくのである。然し、基本コースが10,000円ともなればもう諦めの境地に至ることができるのである。ここで切って気に入らない髪型になったならば、自分セットが悪いか、センスが悪いか、もともと似合う髪型なんて存在しないか、そのどれかである。そもそも美容師の腕を見極めれる勉強なぞ1度もしてこなかったのだから、より良い美容院を探る努力に時間を使うより、朝いつもより10分早く起きてしっかりと寝癖を直すべきなのである。(自戒)

 

最後に同じ美容院に通う理由として、僕はここ数年で、横軸の経験値より、縦軸の経験値が必要であった。と言うよりも京都時代に通っていた美容院の店主がそう教えてくれたのだった。現在通っている場所も、彼の後輩が開業したということで紹介を受けたのがきっかけであった。僕はあらゆる選択をする上で、様々な経験ができるか、つまり知らなかった世界を知れるか否かを羅針盤としてきた。然し思えば20代前半までの僕は、縦軸の経験値よりも横軸の経験値の拡張に躍起になっていたようである。例えばある国に関してどれ程良く知っているかと言うことよりも、何カ国を旅したかという点に大きな興味を持っていた。毎日グラウンドでボールを蹴った結果一生変えがたい仲間に出会えた事や、半年間蜘蛛の巣の生えた高校の自習室で勉強を重ねた結果京都という新しいホームタウンを得た事を忘れて、である。最良の美容院か否か、最良の友人か否かは別として、同じ時間を共にした長さが新しい経験を生む事を忘れてはならないと感じている。店主一人でひっそりとやっていた京都の美容院では、美容師と客という垣根を超えて、様々な事を教わったと思っている。歩き方も知らないよそ者が、新しいホームグラウンドを発見した心地よさは何物にも変えがたい。

 

今の美容院を京都の店主に紹介してもらう以前に、単純な興味として、「良い美容院を見分けるコツは何ですか?」と聞いた事がある。彼は一瞬の躊躇いも無くこう答えた。「2回チャンスを与えてやって下さい。腕の良い美容師なら、あなたの趣味や似合う髪型を1回目のカットとその後の伸び方で判断する事が出来ます。2回目で満足いかなければ、その美容師は修行不足です。」

 

その言葉には、自身と他の美容師達への誇りと激励が含まれているようであった。僕はこういう人々を大事にしていきたい。