ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

赤坂見附のコーヒーチェーンで

「何故小説なんか読むんだい?」Wは半ば呆れたように尋ねた。

 

「僕もよく小説を読むわけじゃ無いが、まあ楽しいから読むんじゃないか?」

 

「楽しいから、ねぇ。でも、テレビも映画も発展してきて、今となってはYouTubeNetflixみたいな動画サイトで溢れているじゃない。実感として絶対そっちの方が楽しいと思うんだよね。」

 

Wは続けた。

 

「絵画だってそうじゃないか。昔はエロサイトが無いから春画を見て興奮していたんだろ?今となっては春画が何の価値を持つだろうか。レコードだってそうだろ。これだけサブスクリプション型の音楽配信サービスが出てきた中で、未だレコードに針を落とすのは変わった蒐集家かレトロ趣味の学生くらいだろう。」

 

Wは壁側のソファー席に深く腰掛け、ズボンのポケットに左手入れて、足を組みながらタバコを咥えている。

 

「あとは、あとは人生の引継書みたいな意味があるという人もいるよね。人類の長い歴史の色々な環境の中で、その人なりに仮説を立てて歩んだ人生の結末の片鱗が記されているのだと思う。こんなことやったら切なく悲しい気持ちになりました、とか、彼女が出来て嬉しかったです。とかね。一から全部考えて人生を幸せに送るのは難しいから、みんなその引継書を読んで行動を決めてきたということなんじゃないかな、無意識でも。」

 

ここまで長くはないサラリーマン生活ではあるが、自分の意見を恰も他人の発言の引用かのように発信することは体に染み付いている。

 

「休日を楽しみに平日なんとなく仕事をして、なんとなく結婚して子供作って、なんて古い人間が作り上げた人生観に則って人生を送るのが無難な正解か。思うんだよね、それでいいんですかと。誰も経験したことの無い人生を送りたいもんだよね、パーっと。」

 

最早Wにとっては読書の意味合いなどどうでもいいようであった。

 

「起業しようや。」

 

Wが言う。これまで幾度となく僕に投げかけてきた言葉であった。

 

「今は仕事も楽しいし起業する気は無いかな。なんかいい事業アイデアが出たら一緒にやろうぜ。」

 

こうして自分は絶対に何もやらないのだろうな、と心の中で呟きながら、仕事が楽しいこと、いつかは起業をしてみるということ、二つの嘘をいっぺんについた。

 

「それでいいんですかと。」

 

コンサル風の言い回しで問いかけた後、Wはアイスコーヒーの結露でびしょ濡れになったテーブルの伝票を眺めた。外は既に日が陰り始めて、灰皿は吸殻で溢れていた。