ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

モザイク

4月半ば。次の元号が令和になると政府が発表してから早くも2週間が経った。新しい時代への準備として、室長が20時以降の残業を禁止してからちょうど1ヶ月程である。

 

20時に仕事を終え、週末に沸き立つ飲屋街で先輩社員と軽く食事をとった後、「友人が待っているので」と口実を述べ錦糸町に向かう。

 

最近は1人でバーで過ごす週末が増えている。改元よりも自分の年の取り方に興味がある。今迄よりも遥かに早く年をとっていくようである。小学生時代は夏休みが無限のように思えたが、今では特に夏を感じる間も無く冬が来て、春が来る。少し早すぎるくらい自分を変化させていかなければ、還暦を迎えても青春に取り残されてしまう。

 

23時も過ぎようとしている頃、K町に到着。いつもの店が(といっても独りで二度、友人と一度しか訪れたことは無かったが)珍しく一杯であったので、兼ねてから目星を付けていたアパート近くのバーに向かった。駅前のネオンも届かなくなった薄暗い夜道を歩くと、「スナック久美子」と書かれた、ひどく穴が空き汚れの目立つ朱色のオーニングが目に入った。バーはその隣にあった。不気味に細長いゴシック調で”SLOWEST TIMES”と書かれた青い看板は薄暗い町の中で一際光輝いている。青白い光に包まれた店内には人影が疎らに見えたので、空席があることを確信しドアを開けた。

 

マスターは一人でカウンターチェアが8席程。外から想像していたよりも狭い店内である。青白い光が照らしていたのは店先だけで、店内はかなり暗く調節されている。カウンターチェアの両端にカップルが2組だけ。マスターは手際よく左端のカップルが頼んだいかにも女性らしい真紅のカクテルの仕上げをしているところであった。皺の多い顔と対照的にワックスで頭頂部に不自然なボリュームを出している。

 

メニューが無いのはオーセンティックバーのしきたりなのだろうか。キャビネットの中で目に入った16年のラガヴーリンをストレートで注文した。「アイラ島しか飲まれないんですか?」マスターが尋ねる。「いえ、何となくそんな気分で。」必要な会話は自然と生まれるものである。

 

聞けばマスターは今年の6月で還暦を迎えるらしい。銀座で40年勤めた後このK町で店を開いたのが3年前とのこと。笑った時に大きく刻まれる目尻の皺の奥で、自信に満ち溢れた目が覗く。若手で金が無かった頃、先輩マスターの飲んだウィスキーの匂いをつまみに発泡酒を飲んだ話を昨日のことのように語っていた。彼もまた、まだ青春の中にいるようである。左端のカップルは終電の時間がよくわからないと述べている男性に、女性が時間と路線を的確に伝え会計を済ませたところである。一つの希望が失われた瞬間に出くわしたらしい。そういえば時刻はもう12時を回っている。

 

僕も煙草が切れたので帰ることにした。店に入ってから一度も触れていなかったスマートフォンを見ると、インスタグラムは賑やかな宴会の投稿で溢れていた。5分ほど前に飲み干したラガヴーリンのグラスからは、まだ晩夏の海のような香りが立ち込めていた。