ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

京都への道中にて

 

東海道新幹線は名古屋を出発した後、岐阜の山間部に到達した。窓の外には路線と尾根に囲まれた盆地上に古い家がポツポツと見える。僕はこうした家の住人がどのように生活しているのか不思議でたまらなかった。山林と新幹線という自然と文明のコントラストに、彼らはどう向き合って生活をしているのだろうか。流線型の巨大な乗り物は物言わず山を貫いていき、暫く、トンネルに入った。窓枠に肘をかけて頬杖をついている僕の顔が、黒い窓に投影された。

 

 

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Tにとって、全てはおままごとのようであった。

 

世間は引続き自粛ムードであったが、桜も咲き始めた東京では外に出てくる人の数も多くなっていた。客先に出かける千代田線内で上司は立っていたTを隣の席に呼び寄せて異動を告げた。海外転勤であった。Tはここ数年上司に海外転勤の希望を伝えていたので、彼はTにとってさぞ嬉しいニュースであろうと、父親のような優しい笑顔で異動の詳細を伝えたのであった。Tは控えめに、「有難うございます。光栄です。」とだけ返事をした。

 

Tは自身の感情に納得がいかなかった。嬉しいはずのニュースを単純に喜ぶことができなかった。しかし、早朝の地下鉄でうたた寝をしている小太りのサラリーマンを見つめながら数分考え事をした後、自分の感情に説明を加えることができた。そもそもこれまで自分が心から喜んだことが無かったと気づいたのである。それは、心から希望する事象の欠如がその要因であることは、Tにとっては比較的容易く導くことができた。

 

Tには、やりたい事が何も無かった。それだけで無く、いつ何時もどこにいても、自分の居場所はここでは無いと感じていた。寺山修司は、仕事帰りに麻雀を打ちながら、「サラリーマンは小説の才能が世間に見出されるまでの仮の姿である。」と嘯く冴えない年配の会社員を描写していたが、Tは寺山の本を読みまさに将来の自分の姿なのでは無いかと怯えたのだった。

 

高校時代Tは地元では強豪のサッカー部に所属していた。しかし、サッカー選手になるわけでない自分が何故これほどサッカーボールを蹴らなくてはならないのかわからなかった。体育の授業のバレーボールで真剣な顔でプレーする同級生を嘲笑したりもした。大学入学後はあまりにも怠惰な生活に浸っていた。まともに授業を聞いたことも無かったのに、友人から麻雀に誘われた際には学生の本分は勉強であろうと断ったりもした。そして、Tは女を愛したことも、愛されたことも無かった。口は達者であったので、一度モデルのように美しい女を口説いて付き合った事があったが、付き合ったことに満足しろくに連絡もしなくなって別れたのであった。

 

「俺みたいな男がさ、Mみたいないい女の彼氏になれているのは、誰よりもMを愛しているっていう自信があるからだと思うんだよな。覚悟をもって誰かを愛さないで、誰かに愛されようなんて虫のいい話なんだよ、結局。」

 

Kはレモンサワーをかき混ぜながらTにつぶやいたことがあった。たとえ一生の伴侶が見つかったとしても、こんな香ばしい発言はできそうに無いなとTは思ったが、真実だとも思った。誰かを、何かを愛したにも関わらず誰にも愛されないという結末が、Tは何よりも怖いのであった。

 

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山科の長いトンネルを抜けて、新幹線は京都に到着した。