ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

イシュー無き世界

 

9月半ば。この時期はこんなに涼しかったであろうか。ここ暫く睡眠前後の数時間はエアコンをつけていたが、今日は寧ろ夜風が心地いい。エアコンのスイッチには手を伸ばさなかった。小学校に扇風機すら導入されていなかった時代の教育を受けているから、空調は必ず体調に異変をきたす代物だと未だに信じている。当時は最近の秋口よりもやはり涼しかったんだろうか。晩夏、窓を開けて寝床につくと、7歳の9月の夜を思い出す。

 

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標高数百米程の丘陵地帯に我が家はあった。洋風の小洒落た作りであったが、森林に囲まれ築数年しかたっていなかったはずだが、昼間でも薄暗く黴の臭いが僅かに漂っていた。我々姉弟は奥まった狭い洋室に2段ベッドを構えていたが、僕が小学校に入る頃にはその家で唯一日のよく当たる和室を自分の部屋としてもらったのであった。

 

9時を過ぎると僕は、敷布団に薄手のタオルケットをかけて眠りに着いたのであった。北側の窓を開ければ、木々によって十分冷やされた9月の夜風が部屋にもたらされる。穏やかな微睡みに耽りながら、どこか遠くの空に響く走り屋のマフラー音が輪郭を極めて柔らかくして耳に触れるのであった。

 

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さて近年の秋は果たして当時よりも気温が上がっているのだろうか。国際会議の度にニュースを賑わす地球温暖化は事実存在するのであろうが、然し乍ら極めてよく晴れた日の夜風には、どこか凡人ですら悲劇のヒーローに仕立てあげる臭いを持っている。

 

昨晩は、女性から連絡の途絶えたスマートフォンを放り捨て、先月の沖縄旅行で読みきらなかったハクスリー、すばらしき新世界を読んだ。イシュー無き世界。サラリーマンとして日々漠然と感じる違和感の正体は、価値のある(とされている)全ての仕事が、本来あるべきでは無いイシューの解決であるとおきかえ得て、且つ価値の無い安定した仕事は、暗にある部分において本来的にこの正明はずのイシューの不在を示しているという、その逆説にあるのではなかろうか。中身無き中期経営計画の策定と、輸入品の納期遅延の収拾に追われていた僕は、純然たる理想として何人も全ての欲するものが即座に手に入る世界に於いて、果たして人々は何を拠り所に生きていくべきなのか、ということを丁度夢想していたところであった。僕に小説家としての才気があったならば、係る"イシュー無きイシュー"という人類が未踏の命題に関して、何らかの解を与える作品を残したいと思った。SNSYouTube によって、人と関わることから離脱できず、金が無くとも楽しめる現代はまさに、自由恋愛と薬物に溢れた"安定"の保証された作中のロンドンそのものかもしれない。「無常のうつせみを運や死や危険にさらさせて、卵の殻はどの獲物を争う。(ハムレット4幕5場)」イシューの解決が人生であるならば、忌むべきイシューは幸福そのものなのであろうか。幸福はベクトルであり、スカラーでは無い。凹凸の激しい関数の、ある地点の微分値として現れては消える類のものであろうか。山のあなたのなお遠く。