ガワラジオ

個人的な出来事の整理用。

金曜日の夜。駅前の居酒屋にて。

 

「何か嫌なことがあったわけでは無い。ただ、楽しいと思えることが、何も無かった。」

 

嘘か真か、すでにこの世にいない大学の同級生が最後に残した言葉とのこと。

 

稀に見る暖冬でマフラーはおろかコートも不要なバレンタインの夜である。暫く会っていなかった大学時代の友人Kと錦糸町の居酒屋で焼き鳥をつまみ酒を飲んでいた。

 

「となりの研究室のRは今何をやっているんだっけ?」

 

「今はK社で研究職をしている筈だよ、辞めてなければね。」

 

互いの近況報告はビール2杯までで済ませ、今はもう会っていない旧友の名前を挙げては、現状のアップデートを繰り返したのだった。どうやらKよりも僕の方がずっと当時の友人の記憶が良いらしく、Kが名前を挙げては何故か僕が彼らの就職先を答えていた。どうやら僕は、人の就職先には大きな興味があるらしい。

 

「Hは… 亡くなったんだったね。」

 

Kが言う。大して思い出も無い旧友の死を語る時にも、窮屈そうな表情を浮かべるのは、最早儀式のようなものだと僕は思った。

 

「何故亡くなったのだろうね。」

 

僕は興味があるのか無いのかわからない温度で答えた。

 

「大体さ、Kは賢すぎたんだろう。楽しいと思える事なんて、そう思えばそうだし、そう思わなければそうでは無いんだし。皆んなカープが好きなフリをして必死で応援するわけだし、最近結婚していく同期達も、彼女が好きなんだとひたすら言い聞かせて関係を続けている訳だ。カープが好きな理由を数式を用いて証明なんて出来るわけ無い。彼女よりいい女なんて腐るほどいるわけで。」

 

Kは真理を突いたような表情で語った。僕はそうかもしれないとだけ答えた。

 

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トイレから帰ってくると、Kはとなりの席の初老の2人組の男と話していた。

 

「関西弁が聞こえたから嬉しくなっちゃってさあ。」

 

どうやら隣から声がかかったらしい。小柄で、白髪だが目鼻立ちのはっきりした綺麗な顔をしている。

 

「お父さん、関西の人なんや。」

 

それまで標準語で話していたKはそう答えていた。見ず知らずの初老の男を、「お父さん」と言えてしまうのは、大阪のお好み焼き屋で育った彼の得意技と呼ぶべき所業である。

 

「若い男が金曜日の夜に2人でこんな汚い居酒屋で飲むなんて、世知辛い話やで。お二人さん彼女はいるのかい。」

 

もう1人の、腕組みを崩さずに話す大柄な男が聞いた。彼の関西弁もまた、どこか急造された趣があった。

 

「僕ら彼女いないんです。思えば、今日はバレンタインでしたね。寂しいものです。」

 

敢えて関西弁にならないよう丁寧に、僕は答えた。

 

「女もおらんのけ?不景気な話やなあ。まあ、俺もバカ嫁から逃げて毎日この店で飲んでるんやけどな。こんな店になんぼ程金を落としたかわからんのですよ!」

空いた皿を片付けにきた店主に聞かせるように白髪の男が言った。標準語と関西弁が混じり、挙句敬語も混じる奇妙な言葉使いである。店主は気色の悪い笑みを浮かべながら「お世話になってます!」と威勢の良い返事をした。

 

「これも一期一会ということで、俺らにもう一軒付き合って下さいな。」

 

白髪の男が言う。僕らは付いていくことにした。

 

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午前3時過ぎ、飲み足りない(とは言っても明らかに飲み過ぎているのであるが。) 2人を残し、半ば強引に店を出てタクシーに乗った。錦糸町から家に向かう道中で疲れ切った表情でKが呟く。

 

「1軒目で帰るべきだったな。不毛な会だったよ。」

 

あと数年若ければ、居酒屋で仲良くなったおじ様に2-3軒目を奢ってもらった夜を、半ば武勇伝的に話したであろう。

 

僕らには、こんな夜よりはるかに「楽しい」夜があるはずである。そんな夜が無ければ、生きてはいけないのである。

 

 

 

 

イシュー無き世界

 

9月半ば。この時期はこんなに涼しかったであろうか。ここ暫く睡眠前後の数時間はエアコンをつけていたが、今日は寧ろ夜風が心地いい。エアコンのスイッチには手を伸ばさなかった。小学校に扇風機すら導入されていなかった時代の教育を受けているから、空調は必ず体調に異変をきたす代物だと未だに信じている。当時は最近の秋口よりもやはり涼しかったんだろうか。晩夏、窓を開けて寝床につくと、7歳の9月の夜を思い出す。

 

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標高数百米程の丘陵地帯に我が家はあった。洋風の小洒落た作りであったが、森林に囲まれ築数年しかたっていなかったはずだが、昼間でも薄暗く黴の臭いが僅かに漂っていた。我々姉弟は奥まった狭い洋室に2段ベッドを構えていたが、僕が小学校に入る頃にはその家で唯一日のよく当たる和室を自分の部屋としてもらったのであった。

 

9時を過ぎると僕は、敷布団に薄手のタオルケットをかけて眠りに着いたのであった。北側の窓を開ければ、木々によって十分冷やされた9月の夜風が部屋にもたらされる。穏やかな微睡みに耽りながら、どこか遠くの空に響く走り屋のマフラー音が輪郭を極めて柔らかくして耳に触れるのであった。

 

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さて近年の秋は果たして当時よりも気温が上がっているのだろうか。国際会議の度にニュースを賑わす地球温暖化は事実存在するのであろうが、然し乍ら極めてよく晴れた日の夜風には、どこか凡人ですら悲劇のヒーローに仕立てあげる臭いを持っている。

 

昨晩は、女性から連絡の途絶えたスマートフォンを放り捨て、先月の沖縄旅行で読みきらなかったハクスリー、すばらしき新世界を読んだ。イシュー無き世界。サラリーマンとして日々漠然と感じる違和感の正体は、価値のある(とされている)全ての仕事が、本来あるべきでは無いイシューの解決であるとおきかえ得て、且つ価値の無い安定した仕事は、暗にある部分において本来的にこの正明はずのイシューの不在を示しているという、その逆説にあるのではなかろうか。中身無き中期経営計画の策定と、輸入品の納期遅延の収拾に追われていた僕は、純然たる理想として何人も全ての欲するものが即座に手に入る世界に於いて、果たして人々は何を拠り所に生きていくべきなのか、ということを丁度夢想していたところであった。僕に小説家としての才気があったならば、係る"イシュー無きイシュー"という人類が未踏の命題に関して、何らかの解を与える作品を残したいと思った。SNSYouTube によって、人と関わることから離脱できず、金が無くとも楽しめる現代はまさに、自由恋愛と薬物に溢れた"安定"の保証された作中のロンドンそのものかもしれない。「無常のうつせみを運や死や危険にさらさせて、卵の殻はどの獲物を争う。(ハムレット4幕5場)」イシューの解決が人生であるならば、忌むべきイシューは幸福そのものなのであろうか。幸福はベクトルであり、スカラーでは無い。凹凸の激しい関数の、ある地点の微分値として現れては消える類のものであろうか。山のあなたのなお遠く。

 

 

 

 

 

金曜22時50分。バスタブに39度の湯を溜め、風呂に入る。ここ数年は時間が許せば近所の銭湯に行きサウナを愉しむ生活を送っていたが、持病の偏頭痛の悪化にサウナが少なからず貢献しているらしいことを知り、最近は専ら家風呂派となっている。

 

ランドリーラックにBeats Pillを置き、PCからラジオの放送を飛ばす。僅かに開けている風呂場の扉から漏れ聞こえるお笑い芸人の声は、柔らかく陽気である。

 

斯くして11階角部屋、20代後半の一人風呂は、音声的な寂しさを紛らわせることに成功しているのであるが、耳以外は依然として暇を持て余している。僕は常に五感全てを満足させなければ気が済まないのである。

 

せめてもの暇つぶしに、入浴後にバブを投入した。バブの挙動に夢中であった4歳児の頃から、僕の本能的な興味は変わっていないようである。当時の遊び方を採用することにした。

 

直方体であるバブの1面には浅い窪みが作られている。表面積を大きくする事で、水との反応速度を向上させ短時間で溶解させる意図があるのであろう。

 

その窪みに水を溜めてみる。水と接している部分は反応を続け、接していない部分は反応を起こさないまま残る。理論上、(溜めた水中のバブ濃度により反応は遅くなるので水の交換は必須である。)窪みが拡大を続け最終的に穴が開くのである。僕はこの、穴が開く瞬間を見たくてたまらなくなった。穴が開いた瞬間に、溜めた水は瞬時に穴から流れ落ちることになるだろう。

 

バブはなんの変化も無いまま、僅かにシュワシュワと音を立てている。ラジオから笑い声。今頃陽気な友人たちはクラブで踊っているのだろうか。バブはシュワシュワとか弱い音を立て続けている。

 

ラジオは曲を流し始めた。芸人は水を飲み休憩中であろうか。口ずさむこともできぬ、全く知らない曲である。バブはシュワシュワと…。

 

と、窪みに溜まった淀みは微かに水位を低め、揮発音は徐々に振動数を変えた。ついに、その時がきたのであるが、想定よりもずっとゆっくりと、地味に水位を下げていく。淀みなのか、本体の固形分かもわからないドロドロとしたものの奥に、僅かに空いた穴が現れた。

 

僕は、これが見たかったのだろうか。熱望した穴は、ひどく地味で、小さく、不細工であった。

 

 

ラベル

全く牙が抜けたようである。

 

K町と隣のO町の間にある銭湯に入り、1時間ほどサウナと露天風呂を楽んでから、縦に異様に長い暖簾を力強く押し外に出た直後であった。僕は言いようもない脱力感、否、無力感とでも言う感情に襲われたのである。

 

全くもって無意味に過ごしたゴールデンウィークも終盤に差し掛かり、夜行性動物に退化した僕は、サウナの力で24時頃に寝ようとしたわけであったが、果たして今日は無事朝が来る前に眠れるのであろうか。

 

今年のゴールデンウィークは令和元年の恩赦で10連休となった。改元がなんぼのもんやと息巻いていた僕らも、平成最後の日を怠惰に過ごすことに不安を感じていたので、日本橋のマリオットのバーで"年越し"を行う事にした。僕は白州をストレートで、Wはいつも通りマッカランの18年をストレートで。

 

Wは僕の勧めによりバー通いを始め、行きつけのバーの常連とゴルフに行く仲にまでなったらしい。筋トレ、カラオケ、ゴルフと一つの趣味を徹底して仕上げるタイプのWは、それが高じてバーの常連の心を射止めたらしい。(常連の社長に腕相撲対決で勝利。カラオケ対決で勝利。)Wはどこのコミュニティでも、自分にラベルを付けられる人である。就職活動時代も「院試で1番であった」というラベルを自身に強固に貼り付けて数多の内定を勝ち取ったのである。

 

お笑い芸人も、いくら上品なコントを作っても売れず、モノマネでラベルを貼り付けて初めて売れ始める時代である。ー明白なラベル表記ー 僕は自己へのラベル表記を、求め続けていて、且つ避け続けているようである。何者であろうか、何者として生きようか。

 

「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるなら」(太宰治;”葉”)

 

「僕を愛してほしいのです。」この単純明快な言葉だけで、その通りにすることができるなら、僕はそれ以外何も語りたくは無い。

 

誰かに愛されるべく、僕たちは日々ラベルを貼っていく。わかりやすく、愛嬌のあるラベルを。カウンターの白州は、深緑のボトルに白く美しいフォントのラベルを携えていた。

 

 

 

 

良い美容院の話

「美容院はどちらへ?」

 

定石としては褒め言葉として受け取るべきこの類の問に対して、僕はたじろいでしまう。生来のサボり症により入念なセットには慣れていない上に、学生時代からの多量の飲酒喫煙によって髪の傷みと頭髪後退の気配が見られる僕にしては、お世辞にも相応の美容院に通っているとは言えないからである。(そもそも、素敵な髪型が映える容姿では無い訳であるし。)

 

就職を気に東京来てから丸2年、青山一丁目駅近くにある流行りのバーバースタイルの美容院に通い詰めている。比較的服が好きだとはいえ、青山という街に馴染みがある訳では無し、何より昨年は千葉県の寮から、今でも錦糸町から醜男が"わざわざ"東京が誇るセレブリティの街に足を運んでいるのだから失笑物である。カット料金は6,000円。必要かどうかは別としてヘッドスパやシェービング等オプションをつければ10,000円が基本コースである。ホットペッパーの新規価格を頼り3,000円カットを続けているという友人にこの事を告げれば罵詈雑言の嵐。一体どうして無駄金を撒き続けられるのかと詰問される顛末である。

 

然し乍、僕はこの美容院に通い続けようと思っている。(一体、君は誰に向けて高らかに宣言しているのかね?) 何故ホットペッパーの新規顧客向けクーポンで安い美容院を探さず、自身の価値に見合わない高価なバーバーに通い続けるのか。僕は明確にこう答えようと思う。

 

まずクーポンを使用しない理由として、自分のお金の行き先を考えた結果である。元来僕はシステムの良く解りにくいポイント制や、だったら最初から安くしなさいと突っ込みたくなる意図のわからないセールス価格に不信感があり趣味として好まない性分である(勘定項目にはポイント引当金なるものが設定されているらしい。明らかにポイントは"使われない利益"をアテにした制度である。功罪は別にして、僕は好まない。) 。サービス業のバリューチェーンではしばしば仲介業が出現する。多種多様な選択肢の中から選択する個人にマッチした適切な店舗や物を紹介するという業種である。かく言う僕も食事をする場所選びでは食べログを重宝しているし、服を選ぶ際には目利きの良いセレクトショップや雑誌を頼りにしている。これは得たい結論と自分の情報量に大きなギャップがあるからで、ネット上にこれだけ情報が溢れているこの時代でも(寧ろ、情報過多になっている今の時代だからこそ)無くてはならない存在であると自覚している。一方で、理想論を言えば(理想とは実現し得ないことと同義であるが)、僕が必要十分な情報を元にしっかりとした目利きを持っていれば、このような仲介業は必要無いものである。お金を支払うことは、存続してほしい、また成長してほしい企業や個人への投資、支援であり、僕は飽くまでも仲介業では無くモノを作った人やサービスの提供者を支援すべく代金を払っているのである。レストランや服は常に違う物を求められるという性質がある為、選定に必要な情報量や作業量は膨大であり、信頼に足る仲介役にはお金を支払っても良い、支払うべきとまで考えている。一方で美容院は常に違う場所に行くことを求められてはいない。寧ろ、医者等に近く同じ場所に通うことで得られるメリットの方が大きい筈だと思う。よって、このサービスに於いては仲介業なぞに一文足りとも金を払う気は無いのである。

 

第二に、高い金を払う理由として、無駄な向上心の抑制がある。僕の性格であろうが、常により良い選択肢を模索する傾向にある。3,000円で髪を切っていたら、4,000円ならよりトレンディな髪型になれるのではないか、5,000円ならもっと心地よいシャンプーをうけれるのではと妄想していくのである。然し、基本コースが10,000円ともなればもう諦めの境地に至ることができるのである。ここで切って気に入らない髪型になったならば、自分セットが悪いか、センスが悪いか、もともと似合う髪型なんて存在しないか、そのどれかである。そもそも美容師の腕を見極めれる勉強なぞ1度もしてこなかったのだから、より良い美容院を探る努力に時間を使うより、朝いつもより10分早く起きてしっかりと寝癖を直すべきなのである。(自戒)

 

最後に同じ美容院に通う理由として、僕はここ数年で、横軸の経験値より、縦軸の経験値が必要であった。と言うよりも京都時代に通っていた美容院の店主がそう教えてくれたのだった。現在通っている場所も、彼の後輩が開業したということで紹介を受けたのがきっかけであった。僕はあらゆる選択をする上で、様々な経験ができるか、つまり知らなかった世界を知れるか否かを羅針盤としてきた。然し思えば20代前半までの僕は、縦軸の経験値よりも横軸の経験値の拡張に躍起になっていたようである。例えばある国に関してどれ程良く知っているかと言うことよりも、何カ国を旅したかという点に大きな興味を持っていた。毎日グラウンドでボールを蹴った結果一生変えがたい仲間に出会えた事や、半年間蜘蛛の巣の生えた高校の自習室で勉強を重ねた結果京都という新しいホームタウンを得た事を忘れて、である。最良の美容院か否か、最良の友人か否かは別として、同じ時間を共にした長さが新しい経験を生む事を忘れてはならないと感じている。店主一人でひっそりとやっていた京都の美容院では、美容師と客という垣根を超えて、様々な事を教わったと思っている。歩き方も知らないよそ者が、新しいホームグラウンドを発見した心地よさは何物にも変えがたい。

 

今の美容院を京都の店主に紹介してもらう以前に、単純な興味として、「良い美容院を見分けるコツは何ですか?」と聞いた事がある。彼は一瞬の躊躇いも無くこう答えた。「2回チャンスを与えてやって下さい。腕の良い美容師なら、あなたの趣味や似合う髪型を1回目のカットとその後の伸び方で判断する事が出来ます。2回目で満足いかなければ、その美容師は修行不足です。」

 

その言葉には、自身と他の美容師達への誇りと激励が含まれているようであった。僕はこういう人々を大事にしていきたい。

 

2月の下書きを参考に

サラダはドレッシングを味わう為に存在する。サウナは水風呂に入る為の前戯である。人生は、或いは。

 

僕の中のロマンチズムは、一欠片の理性と全身にこびりつく怠惰によって、今にも崩壊しようとしているのである。

 

贔屓にしていた古びたカフェは令和の訪れを待つことは無く閉業した。駅前のカフェチェーンの喫煙ルームには、K町らしく異国人の初老の女性たちがテーブル席を囲み日本語では無い何らかの言葉で話している。(突如として、僕のGoogle Android が反応した。4ヶ国語設定にしていたが、どうやら今回はハングルを認識したらしい。)

 

彼女達が僕を不快にさせたのは、檳榔を噛むようなその口音である。檳榔。

 

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2月、台湾は既に春を感じさせる陽気で会った頃、出張で兼ねてから付き合いのある町工場を訪ねた。「今日はいい陽気ですから。」ということで、屋外にある庭でミィーティングを行った際に「試してみろ。」と勧められたのが檳榔であった。

 

噛む程に汗が止まらなくなる。人生初の檳榔を恐る恐る嗜む僕を見て悪戯な顔を覗かせる現地スタッフを尻目に、勝手が分からず悪酔いしたアムステルダムの夜を想起していた。

 

工場の社長の弟は昨年咽頭ガンで亡くなったらしい。20歳になったばかりの息子が後を継ぐまでの間経営を任せようとしていた弟に先立たれ、この工場の目下の課題は後継者問題とのことであった。酒のせいで黄ばんだ大きな目はほぼ瞬きをしない。黒ずんだ唾液とともに檳榔の芯をバケツに吐き出してから、社長は何かを僕に語りかけた。

 

 

現地スタッフは訳してはくれなかった。2月の台湾の夕日が大きくは無い場末の工場を静かに照らすのであった。

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テーブル席の韓国人達は居なくなっている。電話で夫の飲み会の有無を確認していたから、食材の調達に出かけたのだろう。外は日が沈み始めているようである。

モザイク

4月半ば。次の元号が令和になると政府が発表してから早くも2週間が経った。新しい時代への準備として、室長が20時以降の残業を禁止してからちょうど1ヶ月程である。

 

20時に仕事を終え、週末に沸き立つ飲屋街で先輩社員と軽く食事をとった後、「友人が待っているので」と口実を述べ錦糸町に向かう。

 

最近は1人でバーで過ごす週末が増えている。改元よりも自分の年の取り方に興味がある。今迄よりも遥かに早く年をとっていくようである。小学生時代は夏休みが無限のように思えたが、今では特に夏を感じる間も無く冬が来て、春が来る。少し早すぎるくらい自分を変化させていかなければ、還暦を迎えても青春に取り残されてしまう。

 

23時も過ぎようとしている頃、K町に到着。いつもの店が(といっても独りで二度、友人と一度しか訪れたことは無かったが)珍しく一杯であったので、兼ねてから目星を付けていたアパート近くのバーに向かった。駅前のネオンも届かなくなった薄暗い夜道を歩くと、「スナック久美子」と書かれた、ひどく穴が空き汚れの目立つ朱色のオーニングが目に入った。バーはその隣にあった。不気味に細長いゴシック調で”SLOWEST TIMES”と書かれた青い看板は薄暗い町の中で一際光輝いている。青白い光に包まれた店内には人影が疎らに見えたので、空席があることを確信しドアを開けた。

 

マスターは一人でカウンターチェアが8席程。外から想像していたよりも狭い店内である。青白い光が照らしていたのは店先だけで、店内はかなり暗く調節されている。カウンターチェアの両端にカップルが2組だけ。マスターは手際よく左端のカップルが頼んだいかにも女性らしい真紅のカクテルの仕上げをしているところであった。皺の多い顔と対照的にワックスで頭頂部に不自然なボリュームを出している。

 

メニューが無いのはオーセンティックバーのしきたりなのだろうか。キャビネットの中で目に入った16年のラガヴーリンをストレートで注文した。「アイラ島しか飲まれないんですか?」マスターが尋ねる。「いえ、何となくそんな気分で。」必要な会話は自然と生まれるものである。

 

聞けばマスターは今年の6月で還暦を迎えるらしい。銀座で40年勤めた後このK町で店を開いたのが3年前とのこと。笑った時に大きく刻まれる目尻の皺の奥で、自信に満ち溢れた目が覗く。若手で金が無かった頃、先輩マスターの飲んだウィスキーの匂いをつまみに発泡酒を飲んだ話を昨日のことのように語っていた。彼もまた、まだ青春の中にいるようである。左端のカップルは終電の時間がよくわからないと述べている男性に、女性が時間と路線を的確に伝え会計を済ませたところである。一つの希望が失われた瞬間に出くわしたらしい。そういえば時刻はもう12時を回っている。

 

僕も煙草が切れたので帰ることにした。店に入ってから一度も触れていなかったスマートフォンを見ると、インスタグラムは賑やかな宴会の投稿で溢れていた。5分ほど前に飲み干したラガヴーリンのグラスからは、まだ晩夏の海のような香りが立ち込めていた。